しらないことたくさんしりたい

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えいえんのなぎせつとふでのうみ

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    バイト中、同僚に何か面白い話して、と言うと、「彼氏が自分の体臭をかがせる癖があって、つい先日も足を無理やり嗅がされて臭かった!」という、全く面白みのない、むしろただ惚気をぶちかまされただけで終わって、なんだよそれ全然面白くないじゃん、と笑ってしまったから、一周回って面白い話だったかもしれない。

     

    最近はほんとうに、無だ。

    自分でもびっくりな話なのだが、これまで気にかけていたこととか、人とか、忘れられない思い出とか、瞬間とか、手放せない怒りとか、もう次の瞬間死んでもいいやと思えるくらいのしあわせとか、全部もうすっかりどうでもよくなってしまった。あれだけうだうだと、あれだけつらつらと、言っていたのに、ほんとうにびっくりだ。過去にも未来にもとらわれない、今を生きられるようになっている、ということなのだろうか。確かに、人と死ぬほど会っていた先週とは打って変わって、今週は死ぬほど働くので必死に今をこなしている感はある。ヘルプで入れますか、と言われて、大丈夫ですと頷いていたら、いつのまにか怒涛の連勤の予定が組み上がっていた。隙間時間で練習したり、卒論の文献を読んでいたりしていたら、本当にやることに追われていて、いろいろなことに冷めてしまった。やらなきゃいけない、だからやる。がんばるとかじゃなくて、やる、みたいな思考になってきて、もう考えてもどうにもならないこととか、全部をかなぐり捨てて、あれだけ忘れることが怖いと思っていたことも、進んで忘れてやる、今のわたしにはいらない、といらないものを削ぎ落としている状態が今だ。あれだけああいう生き方しかできないと思っていたのに。曲に込めた気持ちとか、どんなだったっけか最近忘れちゃってきてどうでもよくなっちゃったびっくり〜、とスタジオでその話をすると、ギターにメンタル最強ってこと?と聞かれて、それはなんか違う気がした。今まであったことがすべて遠い昔になった、とかそんなことではなくて、むしろ最初からなかったかのように、自分の中から消え失せているような感覚を覚えるのは今までにないはじめての現象だったので、メンタル底辺になる前兆のような気もしていて、身構えている自分がいる。これってちゃんと消化したってことではないよなあ、となんとなく冷静に分析している自分は、ちゃんと未来のわたしをコントロールできるだろうか。とにかく、心の中の怪獣は今はなりを潜めていている。それは決して安定しているとか不安定だとかそんなことではなくて、今まであった波が荒れるでも落ち着くでもなく、そもそも消え失せてしまったかのようだった。凪ってこういうののことを言うんだっけ、と思ってからFF10のナギ節のことを思い出した。ナギ節とは、シンという世界の安寧を脅かす怪物が現れない期間のことをいうのだが、ストーリーを進めていくうちにシンは絶対に復活する存在であるということが発覚し、主人公たちは絶望に直面する。ナギ節は、シンが現れるから生まれるのであって、ただの気休めでしかない。シンは倒され、ナギ節が訪れる、そしてまたシンは復活し、ナギ節は終わりを告げる、そういうループの中にスピラというFF10の世界はある。スピラという名前はスパイラルという単語から来ていると、前に聞いて、なるほど、と思った。そう思うと、わたしの今の状態はFF10でいうナギ節で、そのうちまたシンがわたしの心に現れて、あたり一面蹂躙していくのかもしれない。はじめてシンを打ち破ったというユウナレスカという偉い人が出てくるんだけど、そいつがいうのは、「まやかしの平穏でもみんなそのときはしあわせなんだからいいでしょ」理論で、お約束のごとく当然主人公たちはそんなの間違ってる!って反発し、紆余曲折を経て無事シンを永遠に葬る方法を見つける。そしてスピラには「永遠のナギ節」が訪れました、ちゃんちゃん、というのがFF10のストーリーだった。わたしに永遠のナギ節が訪れる日は来るんだろうか。それ以前に、求めているんだろうか。ユウナレスカ様の言うことも別にわからなくはないな、と思う。ゲームの世界と、心の問題は全然違うのだ。あとユウナレスカ様は戦うときめちゃめちゃに怖い。まじでそこだけホラゲー。FF10のネタバレ死ぬほどしているけど大丈夫だろうか。今更すぎる。

     

    インスタでストーリーをぼけーっと見ていると、知り合いがわたしがすきな作家の本についてあげていたのを見つけて、思わずコメントを送る。その本は前々から気になってはいたものの、まだ読めていない作品だった。その人とは、彼女の作品について以前飲みながら話したこともあり、その人というと彼女の文体とか作品全体を纏う雰囲気とかを思い出す。その人があげていた作品は、夏、というタイトルが入っていることから、夏の間中に読んでほしい、と言われたので、今日バイト終わり買いに行って、帰ってきてから読んだ。

     

    久々に現実世界から離れた次元で、没入して本を読むことができた。この人の作品はいつも同じテーマを違う設定で書いているな、と思う。物理的にも精神的にも暴力的な男の人に、従わざるを得なかった女の人の葛藤とか弱さとか回復までの過程とかをずっと、ずっと書いている。きっとそういう経験があるんだろうな、と推測する。いや、絶対にそうだ、と断言できるレベルだ。

    わたしは本は書かないけど、創作活動という点では音楽と執筆活動も同じ要素が絶対あって、主人公はいつもそういう男の人に懐柔されてしまう女の人なのも、わたしが実体験をもとに曲を書いたりするのと同じなんだろう(フィクションのときも全然あるけど)。自分を投影して、そうやって何かを埋めようとしているんだと思う。文体にはひりひりした鋭さはなくて暖かいけど、それでもじわじわと突きつけられる痛みとかやるせなさみたいなのがあって、それがいつも重たくて苦しい。自傷行為みたいなものだろうけど、平気なのかな、と心配になったりもする。きっとこの人の中にある過去も、痛みも、怒りも、消えることはないし、そうしてできた傷もずっと癒えることはなくて、それでもそれをなんとか少しずつ吐き出して、生きているのだと思う。そう思うと、それは自傷なんかじゃなくて呼吸と同じだな、と思う。わたしはどちらかと言うと、男女問わずだが、男の人を、人を自分勝手に振り回してきた側の人間なので、本質的には違うな、と思うけど、それでも理不尽に性別の違いを突きつけられて傷ついた経験はあるし、他人との境界線の引き方がわからなくて、曖昧な距離感が苦手でむずむずする、どうしたらいいかわからない、という不安定な状態をずっと抱え続けてはいるのはきっと共通点だと思うので、どうしても共感してしまう。今回読んだ本は、明るいエンディングでほっこりした。この人の本はなんだかんだハッピーエンドで終わるので、そこがすごくいいなと思う。わたしはどうしてもバッドエンドを想像してしまうから。

     

    蟲師という漫画がすきで全巻持っているのだが、その中の一話で、人間を絶滅に追いやってしまうほどの強力な蟲(いわゆる虫ではなくてなんか超常の存在ぽいやつ、説明が難しい)を身体に飼っている女の人が、蟲に関する古今東西の話を集めて、それを紙に記すことで、少しずつ蟲の力を封じていく、という話がある。でもその女の人は生きている間中に蟲の力を封じきって、自由の身になることはできない、と示唆されていて、一生物語を書き続けて、蟲と付き合っていくことが約束されているのだが、それでも女の人は悲観せずに自分の運命を受け入れていて、そういうことなんだろうな、と思う。そういう傷をおってしまったことを悲観するより、なくそうなくそうと躍起になるより、一生向き合っていくこと、付き合い続けていくことに覚悟を決めて、少しずつ整理がついていけば、それでいいのかもしれない。

     

    明日も労働だ。本を読んでいる間、なぜだか悲しくないのに泣いてしまった。なんというか、自分じゃない部分の心が泣いていた、みたいなそんな感じで、変な気分だなと思っていた。身体は正直だ、と言うのが正解なのかもしれない。悲しい映画を見て、感情移入しすぎて泣いてしまった、みたいな感覚とも違う、不思議な気持ちだった。最近はまるで今までの自分じゃないみたいだ。読み終わってから本をしまって、パソコンを開いて、連絡を返して、明日の予定を確認していると、涙は乾いて、やっぱりナギ節な自分が戻ってくる。いつまでナギ節が続くのだろうか。それともこれは永遠のナギ節なのか。今はまだわからなくていいや、と思う。忘れたこともまた、思い出すかもしれない、どうでもよくなったことも、どうでもよくなくなる日が来るかもしれない。今はただ、流れに身を任せる。

     

    ゲームをしたい、という欲求と今は戦っている。寝るか、一戦やるかの瀬戸際だ。それもただ流れに身をまかせる。

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