しらないことたくさんしりたい

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わすれたことさえわすれて

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    最近、またねむれなくなってきた。

    夏休みに入ってから早く起きる必要がなくなり、昼夜逆転生活がはじまってしまってあまり睡眠がとれていない気がする。でも不思議と身体は動くから、まあいいか、と思っている。

     

    今週は、月火水木金、ずっと誰かしらと遊んでいた。全然違う人たちと、全然違う組み合わせで、全然違うことを話して、とても有意義だったと同時に疲れた。ひとりでいる時間がほぼなかったので、自分の中のバランスが取りづらくなっている気がする。わたしは常に自分と向き合って情報と気持ちを整理する時間が必要だった、と思い出す。他人との境界線がなくなっていくような感覚、自分の輪郭がわからなくなっていくような、そんな感覚を、覚えたのは久々な感じがある。最近は案外うまくやれていたのかもしれない。今週は予定を詰めすぎたな、と反省する。

     

    学生最後の夏休みだというのに、働いて、練習して、飲み明かして、勉強をする、という日々の繰り返しだ。夏らしいことしたくない?とバイト中に同僚兼友達に聞かれて、なんとなくそうだね、と返す。花火、海、夏フェス、お祭り、夏の風物詩なんていろいろあるが、ひとつもやる予定はない。夏はすきじゃない。空気が明るい、人が多い、暑い、いろいろ理由はある。思えば去年の夏がいちばん青春していて、学生らしい夏休みだったかもしれない。友達の家でホラー映画を見て、けだるい夜を缶チューハイ一杯で切り抜けて、夜の公園はやっぱりいつも優しかったし、いつか終わりが来る、輝きを失うだろう瞬間たちを噛み締めていた。その隣にはいつも誰かがいてくれた。

     

    去年の春から夏にかけて、精神的においつめられて、ほんとうにどん底だった。自分でも気づかないうちにじわじわと身体と心が侵食されていって、ろくにごはんも食べられず、眠りも浅いし息苦しい、ついには歩くのもままならなくなって、ある日目が覚めた途端に涙がじわりと視界を覆っていったのをベッドに横たわりながら目の当たりにして、これは人として限界を迎えているのではないか、と思った。親につれていかれた病院で、訳がわからないまま「でもわたしはもっとがんばれると思ってます」を繰り返し、入院してくださいと言われて、病院のベッドで眠ったときははじめていろいろなことから解放されたような気がして、すべてを忘れて眠りを貪った。退院して身体が良くなっても、心がついてこれなくて、ずっと誰かと一緒にいた。人と一緒にいると、生きているだけで抱えこんでしまっている鈍痛のようなものが和らいでいくのを感じていた。それが去年の夏だった。

     

    一年前の自分が置かれていた環境を思っても、以前ほど心が締め付けられるような感覚がないことに気づき始めている。一年前の自分がやっていたように常に誰かと一緒にいる生活を送っても、以前ほどの切実さもなく、冷静にひとりでいる時間をつくろうと努めている。

     

    忘れられなかったはずの思い出も、人も、全部どうでもいい、と思えるようになってきた。うみべの男の子のライナーノーツに、うまく過去にできない、と書いたはずだったのに、わたしはどうしてしまったんだろう。忘れられずもがくことも辛いが、大切だったものが大切じゃなくなるのも辛い。どちらにせよ辛い。どうすればこうならないんだろう、と何度考えてみても、人との関わりを断ってそもそも大切なものを作らない、という答えしか出てこない。どうしてこんなにうまく気持ちを処理することができないのだろう。

     

    ほんとうの意味で、今を生きるということはほんとうに難しいことなのだろうか。きらめいた瞬間を鮮明に覚えていたいと反芻し続けるわたしは過去を生きている、将来への期待を恥ずかしげもなく語る彼は未来を生きている、なら誰が今を生きていると言えるのだろう。でも今悲しいと涙するわたしは、楽しいと笑うわたしは、確かに今を生きていると思う。

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